福知山市三和町芦渕(あしぶち)の寺院・神社

二年ぶりの更新となったこのブログでは、今後福知山市内の寺院・神社を紹介していきたい。
第1番目は、私の菩提寺や氏神さんのある三和町芦渕から始める。

なお、このブログの記事の中には、下記の『丹後の地名』というホームページの資料を参考に引用させていただいたところが多い。
このホームページは、タイトルが丹後となっているが、丹後のみならず丹波についても詳しく記載されていて、福知山市の地域、神社、寺院についての歴史的資料は詳細かつ膨大である。

   『丹後の地名』:http://www.geocities.jp/k_saito_site/index.html

■三和町芦渕について
芦渕区の中央に国道9号が走り、近接並行して由良川の支流土師川(はぜ川)が流れ、その両側が山になる中山間地域である。

江戸期から明治22年までは芦渕村と称し、明治4年綾部県、豊岡県を経て、同9年に京都府に所属。
同22年細見村芦渕となる。
昭和30年3月に細見村、菟原村、川合村が合併し、三和村が発足して天田郡三和村芦渕、同31年からは天田郡三和町芦渕、平成18年1月1日より福知山市三和町芦渕となる。
 
詳しくは下記のホームページを御覧ください。
 『旧細見村』:http://www.geocities.jp/k_saito_site/amata/hosomiv.html
 『三和町芦渕』:http://www.geocities.jp/k_saito_site/amata/asibuti.html


■芦渕内の寺院神社の位置(地図)

■霧窓山廣雲寺(臨済宗妙心寺派)・・・以下は『三和町芦渕』:http://www.geocities.jp/k_saito_site/amata/asibuti.htmlからのコピーである。

  中出興雲寺の開山、回天和尚の隠居寺として知られている。本尊は釈迦如来である。「寺院明細帳」には「堂宇創立ハ、慶安弐年丑年月日不詳、開山同細見奥村興雲寺回天法旧和尚ヲ請テ、当寺開山トナス、当字迄の歴住八代」とある。『丹波志』には、「回天和尚隠居所芦渕村ニ存、今霧窓山広雲寺ト云、家老黒川吉之助施主本尊在之」と記され、『丹波志』にも「興雲寺ヲ退隠シテ、此所ニ住シ、稲葉氏の家老黒田吉之助寄付ノ仏を以テ本尊トシ祭リ、逐ニ壱宇トナレリ」とある。『天田郡志』にも同様に記され、『細見村史』に、「開基は妙心寺住職回天法旧和尚、寛文二年(一六六二)壬寅四月二十五日の創建」とまとめられ、興雲寺入寺以来十年余で、当寺を中興創建におよんだものと考えられる。

■廣雲寺の写真(平成27年10月24日撮影)

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■王歳神社・・・以下は『三和町芦渕』:http://www.geocities.jp/k_saito_site/amata/asibuti.htmlからのコピーである。

 三和町字芦渕バン上に所在し、祭神は仁徳天皇。王歳神社の文字について『丹波志』は、この字であるが、「綾部藩藩政社寺要記」には、「大年」と記されている。祭神は、『丹波志』によると、「祇園左脇ノ神也ト云、私曰、恐クハ少将井ナランカ、則稲姫也」とある。『細見村史』には明記されず、「神社明細帳」には、仁徳天皇とある、さらに『細見村史』には「大国主命を祀る」とある。天正三年(一五七五)仲秋の創建、明治二十六年(一八九三)再建とある。
規模・構造は、一間社流造、軒唐破風付で柿葺。身舎は円柱粽付、出組詰組とし、向拝は几帳面取方柱で、連三斗が軒を支えている。身舎とは海老虹梁でつながれ手挟がある。二軒繁垂木で妻は一段持出し、二重虹梁になっている。現建物の覆屋の桁には明治二十六年上棟の札がある。
■王歳神社の写真・・・平成27年10月24日撮影

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平成28年元旦の風景
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by okamura920 | 2016-12-24 10:14 | 福知山市内 神社・寺院 | Comments(0)
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