福知山市三和町寺尾の寺院・神社

福知山市三和町寺尾(てらお)内の寺院・神社の紹介である。

なお、このブログの記事の中には、下記の『丹後の地名』というホームページの資料を参考に引用させていただいたところが多い。

   『丹後の地名』:http://www.geocities.jp/k_saito_site/index.html

■三和町寺尾について・・・以下の多くは『三和町寺尾』:http://www.geocities.jp/k_saito_site/amata/terao.htmlから引用させていただいている。

河岸段丘の高い位置にあって、高原のような雰囲気がある。土師川支流寺尾川の谷間に位置して、谷奥を寺尾山田という。往古当地では温泉が出たと伝えている。
寺尾村は、江戸期~明治22年の村。綾部藩領。山裏郷14村の1つ。はじめは草山村の枝郷で、元禄の国絵図改以後高分けされたという。
。明治4年綾部県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年細見村の大字となる。
寺尾は、明治22年~現在の大字名。はじめ細見村、昭和30年からは三和村、同31年からは三和町の大字。平成18年より福知山市の大字。

 
■三和町寺尾の寺院神社

■妙見山実相寺(日蓮宗)・・・以下は『三和町寺尾』:http://www.geocities.jp/k_saito_site/amata/terao.htmlからの引用・コピーである。

実相寺は、寺尾小字薬研に所在の日蓮宗の寺院で、本山は身延山久遠寺である。明治二十五年(一八九二)寺尾小字薬研に妙見堂が創建され、日蓮宗実相寺として本堂・庫裡兼用の木造で、梁行き六間、桁石き六間三六坪、茅葺き一棟が建設された。その後寺院に改称すべく申請したが、寺院創建は不許可となった。ところが、船井郡上和知村字市場小字上ノ山に同宗の実相寺があり、檀家も少なく堂字の維持も困難な事情があり、細見村地域に信徒多数、しかも当時移転の希望がある中で、信徒双方協議の結果、大正九年(一九二〇)十月、村長副中をつけ京都府知事に申請した。大正十二年(一九二三)三月二十日、改築設計を提出し、建立のはこびとなった。移転取調書には、本尊はじめ諸仏像が記されており、「釈迦牟尼仏壱体・多宝如来壱体・顕目宝塔壱体・四菩薩四体・日蓮大壬壱体!妙見大王壱体・鬼子母神壱体」と記されている。なお、和知の実相寺は、延宝六年(一六七八)十一月四日に上和知に創立されている。

■実相寺の写真(平成27年10月24日撮影)
a0003356_12460801.jpg
a0003356_12461592.jpg
a0003356_12462203.jpg


■三柱神社・・・以下は『三和町寺尾』:http://www.geocities.jp/k_saito_site/amata/terao.htmlからの引用・コピーである。

三和町字寺尾小字北畑に所在し、祭神は、火産霊命・奥津比古命・奥津比売命とされる。
『細見村史』『丹波誌』ともに火産霊命・奥津比古命・奥津比売命を祀るとある。『丹波志』または「綾部藩藩政社寺要記」には別の名として、三宝荒神と社名される。また、「神輿出ル、境内凡五十間四方、古薬師山也、于今薬師堂有リ、俗伝ニ云、八十年斗以前、草山村天神ノ社地ヨリ移シ祭ル、千束、芦渕同意、別ニ此神ヲ産神トス、三俣村御幣明神祭礼ノ時、于今此村々ノ機数ヲ校フト也」とあり、本村であった草山村から寺尾村が分村し、神社も分祀されたことがわかる。分村の時期は寛永年間ごろ(一六二四~四四)と伝えられており、『細見村史』の創建時期を寛永年間としている記述も、出典はあきちかでないが、大誤はないであろう。
現在の社殿は、元治二年(一八六五)地五大工による再建で、一間社流造、柿葺である。身舎は円柱で出三を組み、向拝は几帳面取方柱で連三斗を組み、海老虹梁でつなぎ手挟がある。

■三柱神社の写真(平成27年10月29日撮影)
a0003356_12563133.jpg
a0003356_12565255.jpg
a0003356_12565741.jpg
a0003356_12570995.jpg
a0003356_12571342.jpg
a0003356_12571804.jpg
a0003356_12572298.jpg


[PR]
by okamura920 | 2016-12-29 13:07 | 福知山市内 神社・寺院 | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード
<< 福知山市三和町草山の寺院・神社 福知山市三和町千束(せんぞく)の神社 >>