福知山市三和町田ノ谷の神社

福知山市三和町田ノ谷(たのたに)の神社の紹介である。

なお、このブログの記事には、下記のホームページの資料を参考にコピー、引用させていただいたところが多くあります(コピー・引用部分はブログ文中青色部分)。詳しくは下記のホームページを御覧ください。

『丹後の地名』:http://www.geocities.jp/k_saito_site/index.html
『三和町田ノ谷』:http://www.geocities.jp/k_saito_site/amata/tanotani.html

■福知山市田ノ谷について

細見谷の三春街道(府道709号線)をどんどん入って、山の中に入った所である。土師川支流細見川上流域に位置する。東田ノ谷・西田ノ谷に分かれる。
田ノ谷は、昭和5年~現在の大字名。はじめ細見村、昭和30年三和村、同31年からは三和町の大字。平成18年より福知山市の大字。もとは細見村細見奥の一部。

細見奥。単に「奥」ともいう。土師川支流細見川の上流部で、集落は田ノ谷・西松(さいまつ)両渓谷に点在する。西と南の河合峠・野瀬峠・三井ノ庄峠などで氷上郡と接する。
細見奥村は、江戸期~明治22年の村。細見辻村の枝郷。集落は西ノ谷・田ノ谷・松村の3か所がある。当村と細見辻・細見中出3か村入会の広大な野山があり、この入会地には他村民がたびたび無断で立入って、争論となったという。
明治4年鶴牧県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年細見村の大字となる。
細見奥は、明治22年~昭和5年の細見村の大字。当地は2つの谷に分かれていて、1区としては行政上不便なため、大正7年田ノ谷・西松の2区に分け各区長を置いた。昭和5年大字細見奥を廃し、田ノ谷・西松は大字として独立した。


■三和町田ノ谷の神社の位置(地図)



■八幡神社

三和町字田ノ谷三三六ノ一番地に所在する。祭神は、誉田別命。「神社明細帳」にも、誉田別命と記され「境内神社二社・厄神神社・武内宿祢・稲荷神社・倉稲魂命を祭る」とある。
なお『細見村史』には、「応神天皇・神功皇后を祀る」とある。『丹波志』には、「俗伝曰、凡百年有余年以前、辻村と奥村両所ヨリ、此山エ行初メ、山中守護神無クシテ不叶トシテ、梅田末社八播ヲ移シ祭ル、今奥村ニ家居シテ産神トス、辻村ヨリ奥村迄凡五十町」とあり、『丹波志』が書かれる百有余年も前に、この山へ辻村と奥村から入り初め、山のなかで守護神がなかったので、細見谷の梅田神社から八幡を勧請し、氏神としたとされている。
慶応四年六月の改帳には、「八幡宮・吉田家霊・末社厄神社・山神社・稲荷社があり、社内地に観音堂有之候」とある。『京都の社寺建築』には、「細見川の上流にあり、辻の梅田神社の氏子地域より、田ノ谷一帯の氏神である。細見谷の村々は入会山をめぐって争論が多かったためめ、下流地域から独立するためにも別の氏神が必要であったことかうかがえる」と、八幡神社の建立の経過を推測している。 正徳四年(一七一四)本殿改修があり、京都の吉田家から正一位を授かっており、丹波での吉田神道の影響の古例にあたる。また、寛政三年(一七九一)の弓矢奉納額が本殿にあり、本殿はそれ以前に建立されたものとみられる。なお、元禄四年(一六九一)の碑が鹿倉登山道筋にあり、「西国三十三ヶ所巡礼造立奉者也、南無大慈悲観世音菩薩、元禄四年辛未年二月十八日」「観音堂有之候」とあり、慶応四年六月改帳の記事と関連があると思われる。
規模・構造として、本殿は意匠的な面で特色がある。本殿は桁行一間、梁行一間、切妻造で正面に向拝一間をつけ、長板葺とする。身舎に円柱で、柱の上に尾垂木つきの二手先斗キョウを組む。正面に格子戸をたて側背面は板壁を張る。向拝は海老虹梁で身舎とつなぎ、手狭には雲や竜を彫る。また、海老虹梁先の木鼻には神獣の彫刻がある。妻飾りは二手先で妻を持ち出し、変形大瓶束を用いた二重虹梁大瓶束としている。屋根は大きく、軒を深く出し、正面に大きな唐破風を置いている。十八世紀の建立と考えられ、独特の蟇股や大瓶束、尾垂木、彫物とする組物、木鼻など装飾豊かであり、その様式も独創的て注目される。



■八幡神社の写真(平成27年11月16日撮影)

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by okamura920 | 2017-01-08 19:24 | 福知山市内 神社・寺院 | Comments(0)
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