福知山市三和町下川合内の寺院・神社

福知山市三和町下川合(しもがわい)内の寺院・神社の紹介である。

なお、このブログの記事には、下記のホームページの資料を参考にコピー、引用させていただいたところが多くあります(コピー・引用部分はブログ文中青色部分)。詳しくは下記のホームページを御覧ください。

『丹後の地名』:http://www.geocities.jp/k_saito_site/index.html
『福知山市三和町下川合』:http://www.geocities.jp/k_saito_site/amata/simokawai.html

■福知山市三和町下川合について

土師川支流川合川の流域に位置する。標高400~500mの山々に囲まれた河岸段丘の集落。
下川合村は、江戸期~明治22年の村。綾部藩領。はじめ6か村からなる河合村のうち。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」とも河合村に含まれているが、「巡察記」「旧高旧領」では6か村別々の石高を掲げて、当村は368石余。
明治4年綾部県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同22年川合村の大字となる。平成18年から福知山市の大字。
下川合は、明治22年~現在の大字。はじめ川合村、昭和30年からは三和村、同31年からは三和町の大字。
大正7年に、地内の小字シテノ・水無田・ヒラヲ・三本松・トビノス・シデノ・丸石・釜ケ池は細見村に編入されて、同村の大字梅原となる。


■三和町下川合内の寺院・神社の位置(地図)

■安照山新福寺(曹洞宗)

新福寺は、下川合小字アラタに所在する曹洞宗の寺院である。『丹波志』には「安昌山心福寺、曹洞宗、船井郡胡麻村末寺」とあり、「寺院明細帳」には「本尊地蔵菩薩で、丹波国船井部下胡麻村龍沢寺三世磨逸和尚、承応元壬辰年建立」とされている。開基は『丹波志』『天田郡志』ともに、孤嶽桂峻とされ、桂峻は寛文年中(一六六一~七三)の人である(『天田郡志』には寛文四年九月寂とある)
新福寺には薬師堂があり、本尊薬師如来を安置している。この堂は、かつては小字踏掛山に建立し、寛文十一年(一六七一)この地に安置された。『川合村史』によると、本尊は地蔵菩薩、開基は孤嶽桂峻主座、正保二年(一六四五)下川合小字アラタに曹洞宗寺院として創立され、慶安三年(一六五〇)創建されたとされており、明細帳に承応元年(一六五二)建立とあるのは、完成の年月と考えられる。文久元年(一八六一)に落雷により伽藍全焼、四年後の元治元年(一八六四)に現在地に移転、再建された。

■新福寺の写真(平成27年11月20日撮影)

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■宇麻谷神社

三和町字下川合上ケ山に所在し、宇麻志摩知命を祀る。『丹波志』には「馬谷大明神」と社
名を記し、祭神は「渋谷上佐ノ坊ノ馬也」と記し、「宇麻谷大明神ト篇セリ」とある。さらに「神社明細帳」には字麻谷神社祭神は、宇麻志摩知命とある。『川合村史』は、宇麻志摩遅命と記している。『天田郡志資料』にも前記の命と記し、『天田郡神社記』にも同様の祭神が記されている。さらに「又可美真手命ともかく、命は又味間見命とも申す、当社は土佐坊の馬を祭れりとも云」と記されている。
『丹波志』には、「村老ノ説ヲ聞ニ、土佐坊ノ馬於此所死後崇アルユユ祭之ト云伝ト云リ、上河合ノ内稲葉ト云所ニ長左衛門卜云者、土佐坊ノ鎗刀脇差ヲ所持ス」と記され、源義経を狙った土佐坊の馬が殺され、その祟りを鎮めるために祭神としたこと、上川合の稲葉の者が土佐坊のものとの伝承がある刀や槍を所持していることを伝えている。
 規模・構造は一間社流造、軒唐破風付で柿葦とする。内部は前後に間仕切り、内々陣を奥に設けている。身舎は円柱粽付、出組で軒を支える。向拝は几帳面取、平三斗である。縁は木目縁で平三斗、詰組を組む。身舎と向拝は海老虹梁でつなぎ、手狭もつける。妻は尾垂木付二手先で一段持ち出す。
現在の本殿ほ、天保十年(一八三九)八月の神殿造営の棟札があり、様式的にも当時のものとみられる。覆屋内には、同年の仲秋の「奉納発句合」「四季花取」と題する句額があげられている。なお、弘化二年(一八四五)に鳥居が建立されている。

■宇麻谷神社の写真(平成27年11月20日撮影)

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by okamura920 | 2017-01-23 13:45 | 福知山市内 神社・寺院 | Comments(0)
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